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Jリーグ開幕記念日によせて(大分トリニータへ関わる皆様へ)

27年前、1993年5月15日に、Jリーグの記念すべき最初の試合が国立競技場で開催されました。私は、大分の自宅でその模様をテレビでみていたんですが、期待を込めてというよりは興味半分、また、本当にサッカーがプロでやっていけるんだろうか、という気持ちもありました。

開幕カードはヴェルディ川崎VS横浜マリノス、当時の黄金カードでした。まず、試合前のセレモニーが賑やかで楽しかったという印象が残っています。当時は、サッカーの試合は地味なものという思い込みがありました。
そして、試合が始まって10分、私はテレビ画面を食い入るように見つめていました。サッカーの試合って、こんなに面白いんだ!結果は2-1でマリノスの勝利、黄金カード、開幕カードにふさわしい試合でした。この試合を見てJリーグのファンになりました。

一発でJリーグに魅了された私は、リーグに関するいろいろなことを調べました。当時、Jリーグにいた外国人選手のキャリアには驚かされたし、プロ化にこぎつけるまでの関係者の苦労、大変な決断も少しですが知ることができました。
また、ホームタウン活動など、Jリーグ及び各クラブが地域と深く関わることを明言していることに感銘を受けたのを覚えてきます。こんなことは今までなかったことであり、スポーツ文化という言葉に触れたのも初めてのことでした。

翌1994年、大分に大分県リーグのチームとして「大分トリニティ」が発足しました。多くの関係者の尽力があっての船出でしたが、正直なところ、Jリーグに昇格するなんて夢じゃないか、大分のどこにそんな金がある!と思っていました。一方で、ワールドカップ誘致のためには地元にクラブが必要だし、あったら楽しいなとも感じていました。
トリニータの試合を初めて見たのはJFLの時代です。職場の仲間に誘われて大分市営陸上競技場に行きました。私の役目は荷物運びと運転手です。でも、スタジアムでみる試合はテレビでみるJリーグの試合よりもはるかに迫力があったし、サポーターの応援にも感動しました。何よりも元気をもらったし、思わず熱くなったんです。

その頃から20数年の時間が経過しました。
2019年、Jリーグは観客数が1,000万人を超え、トリニータも浮き沈みはあるものの、現在J1に在籍しており、昨年はホームゲームで15,000人を超えるお客様に来ていただいきました。
しかし、変わらないもの、変わってはいけないものがあります。それは、発足当時の理念であり、それを支える熱意だと思っています。Jリーグは多くの人に夢を与え、我が国のサッカーのレベルアップ、普及をになってきました。 また、スポーツ文化の振興および国民の心身の健全な発達への寄与という点からみると、各地域にJクラブが存在し、地元の声援・支援を受けているし、ホームタウン活動はシャレン(社会連携事業)に進化しました。
トリニータはどうでしょうか。多くの皆様に支えられて今日のトリニータがあります。私は、トリニータの存在意義はそんな皆様に元気をお裾分けすること、常に身近にあって家族や友人、職場での話題になること、だと思っています。
おじいさんが孫を連れてスタジアムに来る、中学生が友達を誘って試合に来る、夫婦で土曜日の夜の共通イベントになっている、スポンサー間のビジネスのきっかけになる、そして、試合でワクワクドキドキし、スタジアムイベントやグルメを楽しんでいただく。そんな世界を実現したいと思っているし、それが、Jリーグの理念の具体化につながると信じています。まだまだ、発展途上ですね。

コロナウィルスの影響で普段の生活とは違う毎日です。試合も長い間中断しています。今、私たちにできることは皆様にエールを送ること、健康管理に努めながら再開に向けて準備することです。
厳しい時も支えてくれるスポンサーの皆様、温かい声援をくれるファン・サポーターの皆様、自治体、経済界、そして株主の皆様に改めて感謝とエールの気持ちを送ります。そして、ともに、コロナの厳しい状況を乗り切りましょう、ともにJリーグの理念を実現していきましょう。

                                                                            2020年5月15日

株式会社大分フットボールクラブ 代表取締役社長

榎 徹

 

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